事実上の違憲審査権を放棄することによる限界とは

裁判所には、法律が憲法に違反しているか否かを審査する違憲立法審査権があることが憲法で認められています。

しかしながら、例えば自衛隊法が違憲である疑いが濃厚であるにも関わらず、裁判所はその司法判断を自ら放棄して来ました。それは、裁判所による「統治行為」になる可能性があるからです。

統治行為論とは、裁判所は高度に政治的な司法判断をすべきではないとする考え方で、自衛隊の他に、衆議院解散(いわゆる七条解散)の是非の判断なども統治行為となるとしてその違憲審査権を自ら放棄しました。

これは、高度に政治的な判断は行政府が行うべきことであり、司法権がそれに容喙することは三権分立に反するとの考え方により成り立っています。

しかしながら、近年の複雑化した国際情勢下においては、統治行為論によって事実上の違憲審査権を放棄し続けることに限界が見えて来たのもまた事実です。

憲法九条二項を素直に読めば、自衛隊は違憲である可能性が極めて高いことは誰の目にも明らかですから、近隣国家の軍事的脅威が明らかになりつつある昨今において、裁判所が躊躇無く自衛隊を違憲としてその解散を命令し、現行憲法の問題点を国民に堂々と問いかけることが必要ではないかとする意見もあろうかと推察されます。

そこで、統治行為に縛られず、違憲立法審査と同時に憲法そのものの問題点を明らかにするための憲法裁判所の設立が考えられています。

憲法を不磨の大典と考えていない国民も相当数いると思われますので、統治行為の縛りを解いた憲法論議を憲法裁判所において盛んに行うことも悪くはなさそうです。

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